魅力タイプ診断

 みなさま こんにちは。

 

 占い好きな私ですが、初めて知った小田桐あさぎさんの「魅力タイプ診断」。詳しくはこちらhttps://ameblo.jp/asagiblog/entry-12361423889.html

 

 

 ある自己啓発セミナーで知ったのですが、長年のもやもやを解消してくれたのです。

 

 2013年に第一子を産み、子育て真っ只中ですが、子どもと楽しそうに遊んでいるママ達を見るたびに、「どうして私は楽しめないんだろう?」「女性として、母として、何か欠落しているのでは?」「娘を大切に思う気持ちが薄いのか?」という思いが消えませんでした。

 

 半面、時短勤務をしながら、育児セミナー、仕事のセミナー、自己研鑽セミナーなど、出産前と変わらず、お金を払い、知識を得る場所に足繁く通っていました。

 

 

 「あなたはよくやっている」そう言われても、心の底まで満たされる事はなく、もやもやの正体を知ることができないまま月日は流れていました。

 この診断と出会い、自分が「学者タイプ」だと分かった時、霧が晴れたのです。

 

<学者タイプ>
自分を高める、目標達成が大好き。
感情ポイント:自分のしたいことができる。何かに没頭し深められる。欲しい結果を出せる。

 

 

 仕事でさえ、娘以外の事に目を向けるのにどこか罪悪感を感じ、なのに育児セミナーは楽しく・・・。この矛盾しているかのような状態に、もやもやは深まるばかり。

 

 

 でも、自分が学者タイプだと知ったときはじめて、「私は、女性として、母として欠落しているわけではない。ただ、目標達成や、何かに没頭し深めることが好きなだけ。娘が大切でないわけでもない」と安堵したのです。

 

 私が思うに、子育てを「素で」楽しめるのは、好きな人との密な関係を築くのが大好きな「貴族」や、みんなに尊敬される(感謝される)のが大好きな「王様」ではないかと思うんです。もちろん、善悪ではなく。

 

 子育てを素で楽しめたら「善」そうでなければ「悪」みたいなわたしの思い込みと、「自分が何に幸せを感じるのか」を言語化してもらったことにより、長年の霧が晴れた瞬間でした(T_T)

 

 最後までお読みいただきありがとうございました♬

 

 

 

 

 

 

子どもが寝ない!(5・6歳~)

「毎日早く寝ねろー!!」って言うのストレスがたまる!!ってよくぼやかれる。

確かに。フルで働いて帰ってきてそれって、キレるわ。

 

小1の娘曰く、「お勉強中、椅子に座ったまま揺れてる子いるよ♪」と。まさかの小1で授業中船漕ぐ!?

 

個人的に、早寝早起きは、お金をかけず、脳を発達させる方法だと思っている。

早く寝かせたいあまり、夫との時間より娘を優先してしまっていた私(泣)

その懺悔は置いといて。

 

私が考える、早寝にする方法💛

①朝早く起こす

 とりあえず、何で釣っても良いので、通常時間より1-2時間早く起こす。大好きなDVDや、おやつみたいな朝ごはん、ゲームで釣る、カーテン開けて日差しを浴びさせる、換気する、ノリノリの音楽かける等。

 

②夕方5時とか6時とかに寝てしまいそうになっても、お昼寝厳禁!!

眠くてどうにもならない時は、いっそ、そのまま夜寝るように、寝かしてしまう。その時は、お風呂は朝にしたり、夕飯も1食抜いても死にゃしないかと。気になれば何かサクッと飲ませるとか。翌朝空腹で早起きしてくれたら思うつぼ!

親が夜中に電気煌々とつけ、ゴソゴソ動いて空腹の子どもが起きてしまったら、ごはん食べさせるだの、食べたら目が冴えて寝なくなるだの、面倒なことになるので注意。この期間は親も早寝で。

 

③①②を4日間続ける。

じりじりと体内時計が変化して、早起きになるはず\(^o^)/

 

お試しあれ(^^♪

 

 

 

 

上履き問題その二

 わが子が通った保育園は小規模だったし、毎日入室しての送り迎えだったので、保育環境をまじまじと観察することができていた。

 

 当然小学校は教室内まで入ることはなく、入学後、しばらくしてから衝撃の事実を知ることに!

 

 わが子の小学校では上履きでトイレに行き、なんとそのままのシューズで体育館で運動を行っていた(>_<)(>_<)(>_<) きたなーい(汗)

 

 早速、知り合い6人(地方はバラバラ)に聞き取りしたところ、

①上履きでトイレに入るけれど、体育館シューズがある。×1

②上履きでトイレに入り、体育館も同じ(我が子のパターン)×4

③トイレにスリッパがあり、上履きと体育館シューズは同じ。×1

 

ウソでしょ・・・(-_-;)聞き取りしたママも、私が質問するまで事実を知らなかった人が私を含め3人(皆1年生ママ)

 

 わが子の保育園は、今通う小学校の体育館を借りて運動会をしていた。その際、保護者席では小学校のマットを座布団代わりに使用させてもらっていたけど、全校生徒がトイレに入った靴で使用したものだったの~(>_<)!?何故だか体育館のトイレには、スリッパがあったので、まさか校内トイレにスリッパがないなんて、想像していなかった・・・。

 

 私なりに、3つのパターンの良い点・悪い点を考えてみた。

良い点①衛生的。体育館では運動に適したシューズを使用できる。

   ②経済的。靴の履き替え回数が少なく、災害時もそのまま避難できる。

   ③比較的経済的

悪い点①運動に適したシューズを、成長と共に買い替える必要があり、高コスト。

   ②不衛生。いわゆるバレーシューズが指定の上履きだとすると、運動に不適。

   ③スリッパを他者と共有するのは不衛生で、心理的にも抵抗がある子どもがいるのではないか。

 

 個人的な理想は①かつ、足に良い靴を上履きにすること。

 

 ただ、成長に伴う頻回のサイズアップが必要な時期なので、コストを考えると、理想を追いすぎかもしれない。となると、私の中での妥協点はやはり①。また、上履きは白であればOKなど、各家庭で、経済面も考慮しながら選択できるような指定の仕方にしてほしいなあ。

 

みなさんはどう思われますか?

小学校の上履き問題

 こどもの着るものはユ〇クロでも、おさがりでもいいけど、靴だけはこだわってきた私。自分の足が小さくて、人差し指が異常に長くて、薄っぺらくて・・・という靴難民というのもあるけれど、やっぱり足は体の土台。成長著しい幼少期は特に、気をつけたい。

 

 小学校入学にあたり、学校から指定された上履き。きたきた、例のバレーシューズ。私に言わせれば、スリッパでしょ、これ。

 

 以前、二子玉高島屋の「アンファンドゥアルカ」で耳にした話。私立小学校でもこの上履き指定で、問題視した親御さんが、「せめて中敷きだけでも」と、5000円かけてインソールを作成されるらしい。1000円に満たないスリッパに5000円のインソール~(>_<)

 

 私立小学校の話だから、金銭的な問題ではなく、単に「足育」を重要視されていない?そんな概念がない?ってことでしょうか。教育熱心な親御さん方から、ご意見されないのでしょうか??指定のモノに意見するのは、「協調性に欠ける」のでしょうか?

 

 協調性に欠ける(笑)私は、どうしても受け入れられず、小学校へご意見しました。とても誠実に、意見に耳を傾けていただけ、結論として我が子は、「白」の指定にそった、アシックスのGDランナーを上履きとして履かせています。

 

 

 「足と靴と健康協議会」のHPに以下のような内容を見つけました。

 

問題になるのが、わが国の小・中・高校における指定靴、制定靴あるいは校内履きです。
これらの選択基準は子供の足の特徴や機能などとは全く関係なく、値段や耐久性などの親の都合と、子供の行動を統制しやすいよう紐靴を禁止するなど学校側の都合が優先されているのが実態です。

 

 わが校に限っては、「学校の都合を優先」というより、親も含め、これまでのバレーシューズで問題が起こっていないから、規定を変更する必要がなかった、つまり、上履きに関して、「問題意識がない」のだと感じました。

 

 足育成功も失敗も、急に現れるものではないので、「問題が起こっていない」と感じるのではないでしょうか。

 

 それにしても、ランドセルは色も形もお値段も(>_<)、現代風に変化しているのに、この「上履き」だけは、自分が小学生だった〇十年前と同じって、すごく違和感を感じる。ランドセルに5万も6万もかけるなら、その予算、靴にこだわった方が健康になれるのではないでしょうか・・・。

 

最後までお読みいただきありがとうございました♡

 

 

 

Audible

 悩み多き時間を過ごしているだけあって、我が家の本棚、キャパ越え(>_<)。

 

 省スペースの観点から、Kindle Paperwhite購入で本を減らす事を視野に入れつつ、出版当初にも読んだ、こんまりさんの「人生がときめく片づけの魔法」を、Audibleで聴きながら片づけに取り組んでみた。

 

 Audible最高!!家事をしながら、子どもの相手をしながら(子どもにとってはあまり良くないかもしれないけど)、音楽の如くかけ流しできる。もちろん、100%聞き取るためには、集中した方がいいに決まっているけれど、「さあこれから聴きましょう」って時間を取れなくても、スキマ時間でも、70%の理解でも、0%(読めない)よりは良いわけで。

 

 テレビを筆頭に、目からの情報が多い中、子どもにとって、映像ナシで言葉が入っていくのって、想像力につながる気がする。ついでに片づけにも興味をもってくれたらサイコー!

 

Kindle Paperwhite 防水機能搭載 wifi 32GB ブラック 電子書籍リーダー

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人生がときめく片づけの魔法 改訂版

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自分を大切にすること

 悩みを抱え、いくつかのメルマガやカウンセリング、自己啓発関連のブログを読む中で、「まずは自分を大切にし、自分の好きな事、楽しいこと、心地よい生活を心がける」と誘導された。

 

 私の場合、体を壊して限界を感じて初めて「やめやめ!」と、それまでの生活を捨て、楽になる道を自ら選択した。でも、仕事を辞めたら生きていけない状況だったら、逃げ出す事さえできなかったかもしれない。

 

 投げ出して、楽になって、自分を見つめながら、自分を大切にしていく中で、確かに周囲への感謝の気持ちが戻ってきて、そう感じられる自分自身も受け入れやすくなった。でもそれは、周りが変化したというより、自分の気持ちが変化しただけ。それまでの自分に映っていた世界と同じはずなのに、見え方が変わってきた。

 

 自分を楽にしてあげることで、結局、周りも幸せにできるようになった。でも、あの時私の体が限界を迎えなかったら、未だに精神力で突き進み、苦しい思いが続いていたと思う。

 

 不登校で悩む友人がいる。私からみて、本当によく頑張っているな、逃げないで、子どもに向き合っているな、と感心する。でも、もう2年以上苦しみの渦中にいる。そんな友人に、自分自身を楽しませてあげては?と話したことがあるけれど、当然「子どもが不登校で苦しんでいるのに、母親だけが楽しむなんてできない」と、当然の答えが返ってきた。アドラーの言う、課題の分離からすると、不登校は子ども本人の問題で、母親の問題ではないのかもしれない。本当のところ、子どもがどうかんじているのかも分からない。それでも母親なら心を痛めるに決まっている。でも・・・。

 

やはり友人が笑えば、不登校を子どもの問題、と切り離せば、子どもはもっと幸せになれる気がしてならない。でも、私には段階を経て彼女のカウンセリングをする能力や知識があるわけではないし、当然、彼女が望んでいるわけでもない。

 

大きな悩みを抱えて苦しんでいても、カウンセリングを望んでいない人を前に、本物のカウンセラーでさえも、指を加えて見ているしかないのだろうか?罪悪感でいっぱいの人が、自分を大切にできるようになるには、どうしたらいいんだろうか・・・?

主体的であることのメリット

 今更何を?的な記事になることを承知の上で、でも私は最近気づいた(体感した)んだもの、という気持ちでこの記事を書いている。

 

 かつて助産師をしていたころ、「妊婦さんが主体的にお産に取り組めるように」と、当たり前に教えられてきて、助産師として、妊娠期からそれを支援していた。

 

 しかしふと、「なぜ主体的でないといけないのか?」という疑問がわき、いろんな人に聞いて回った気がする。でも、「当たり前じゃん」みたいな顔をされ、結局しっくりくる答えは得られなかった気がする。

 

 それが、夫婦関係、育児、仕事で悩んだ今頃、ピンとくる結果となった。

 

 そもそも私は何でも、最終決定は自身で下し、それに対し責任を負うのは当然だと思って生きてきた。もちろん自分以外の人の意見も聞くけれど、最後は自分。敢えて言うまでもないスタンスだ、と。決断に苦慮することはあったけれど、自分で決めることを「偉い」だとか思ったことはない。自分の事なのだから。失敗しても痛い目に会うのは自分。だから、悩みぬいた後は、失敗が怖い、という気持ちも消えていた。

 

 子どもが生まれ、子どもに関する決断をするとき、本当に悩んだ。不利益を被るのは子どもだから。子ども自身が「こうしたい」と言ってくれたら楽なのに、と何度も何度も感じた。もちろん、言ってくれるわけもないのだけれど。

 

 家事と育児と仕事に追われる生活の中で、夫婦の気持ちがすれ違っていき、夫を恨む気持ち、自分が惨めだと思う気持ち、職場に対する反感等々、マイナスの感情ばかりにとらわれていき、本当に苦しい時間が続いた。

 

 退職し、まずは時間的、身体的に自分を楽にし、カウンセリングや、内省を続け、じっくり子どもと向き合ううちに、自分で自分のケアをするうちに、マイナスの感情が消えていき、精神的に楽になった。

 

 そんな中で、ふと、決定的に夫との関係悪化につながった出来事さえ、「自分が決めた(少なくとも夫の望みを許可した)」のであり、それによって、関係悪化につながったとしても、少なくとも責任の一端は私にある、と思えるようになった。

 

 自分に責任がある、のに、夫を恨むより、何倍も気持ちが楽になった事に驚いた。人を恨むとは、近しい人なら尚更、不毛な、計り知れないエネルギーを消耗しているのだと感じる。

 

 関係悪化につながったとは言え、夫の望みを許可した自分を棚に上げていた自分=主体的であったはずの判断を、責任転嫁していたのだ。

 

 誤った選択だったけれど、主体的に選択したこと。では、この失敗を受けて、どうしたら良いのか、を考えようと思えるようになった。何より、精神的・身体的に蝕まれる、恨みの念が消えたことが大きい。

 

 「主体的に生きる」「責任を負う」という事は、負担のかかる事、とばかり思っていたけれど、自分の人生を、自分でコントロールすることができる、唯一の方法でもあるのだと実感した。