自分は自分の子どもを、自分が育てられたように育てたいか?

みなさま お久しぶりすぎますね💦
我が家に生けた桜の花は早々に満開となりました🌸
どんだけ部屋が温かいのか💦


ブログの投稿が途切れた頃から、作家のジョンキムさんによる「成功哲学」をクラブハウスで聴いていました。現在SeasonⅡが始まり、今朝は子育てに関する話題。


そこから私の心が動き、想い出したことを、お伝えしたいと思います。

 

 

人は、自分が育てられたように、自分の子どもを育てる。

 


私の場合、親からの言葉の暴力(と今なら見なされる)や、今なら問題となるような叩かれ方もしましたが、一方で「それはそれは大切に育てられた記憶」の方が厄介でした。

 

我が家は、季節の行事はきっちりこなし、誕生日やクリスマスは手作りで楽しませてくれる。父は昼食を摂る時間もなく働き、クタクタになって帰宅するサラリーマンでしたが、休みの日には、キャンプや遊園地に連れていってくれました。長女の私は、本当は欲しかった「物」を我慢した記憶はありません。

 

でも今振り返ると、この楽しい、幸せなはずの想い出が、無意識下で、子育てを始めたばかりの私を苦しめたのでした。

 

我が家とは正反対で、夫の家族はさほど行事を重要視せず、初孫のお宮参りに、「その日ディズニーランドに行くからお宮参りは行けない~💦」と言われ、目が点になりました👀

 

でもこの時私は「楽✨」だったのです。ここで気づけば良かった💦単純に、「姑に育児の口出しされない楽な嫁」と理解していました。


方や実母は「お宮参りは?」「お食い初めは?」「お雛様🎎買うのに〇〇万円振り込んだから選んであげて!」と、やんややんやとせっつかれる(と私は感じていた)。理性では有難いことだと理解できます。しかし、育児で疲労困憊、当時、家探しまでしていた私の心の声は「今!?」「しんどい」と悲鳴😣

 

 

一方で「きちんと行事をしてあげなければ子どもが惨めだ」という無意識の思い込みのにより、自分を追い込み続けてしまっていました。

 

 

自分は自分の子どもを、自分が育てられたように育てたいか?

 

 

あの時、この言葉の本当の意味をじっくり考える余裕があったなら、本質を見失うことはなかったかもしれない。

 

 

わたしは自分の子どもに「自分は大切な存在である」と感じて育ってほしい。ただそれだけでした。生後100日でお宮参りに行かなくても、初節句にお雛さまが間に合わなくても、豪華な誕生日でなくても、大切な存在だと思えないことに比べたら、どーでもいいこと。

 


なけなしのエネルギーを使うところ、間違ってたね😢

 


過去は戻ってこない。
だから今から始めよう✨


ステキな一日をお過ごし下さい♡