ワンオペ時代

 夫のやりたいことのため、1年間、仕事と育児、そして経済的にもほぼワンオペ状態となった。それを許可したのは私。でも、その日が近づくにつれ、やりたいことへの出費と、残る私と子どもへの配慮の無さにイライラが募った。それは愛情の無さ、に感じた。冷静に考えれば、愛情はあった。でも、私が求める量、求める方法で表現されなかったのだろう。

 

 ワンオペが始まると、その思いは怒りへと変わった。夫の一言一言が気に障った。子どもが夫を恋しがる姿が苦しく、「なぜ大変な思いをしている自分だけ、こどもの辛い姿を見なければいけないのか」と怒りは募る。

 

 そんな状況を想像、共感できない夫は、能天気な頼みごとをしてくることもあった。頼み事と言っても、些細な事だ。でも、その時の私は、一ミリも、一ミクロンも余裕がなく、その些細な頼みごとが、爆弾を投げつけられたかのような気がした。夫は私たちのことを何も分かっていない。子どもを保育園に預けた足で駆け込んだ満員電車の中で泣いた。

 

 なぜそんな思いを引き受けてしまったのか。「当然、夫はもっと自分たちのことを気にかけてくれるだろう」「対外的に、育児と仕事を一人で両立させる、出来た妻と思われたかった」「単純にできると思っていた。たった1年だから」

 

 その頃の子どもとの生活を考えると、今でも涙が出る。かわいい盛りの子どもに、つらい思いをさせてしまった懺悔の気持ち。それは直接夫への怒りに変わる。

 

 でも・・・。そもそも、なぜ、夫を行かせてしまったのか。家系学、人生脚本から考えると、どうやら実父と同じような行動をとっているようだ。

 

 自分が幸せを感じる事より、誰かの為に役立っている、他者にそう思われ、認められようとすること。ワンオペでも家を清潔に保ち、食事を手作りし、子どもをイベントに連れ出し、仕事のセミナーに参加し、育児セミナーに参加し・・・。

 

 誰もに、「どうだ!!」って言いたかった。私はこんなにすごい、私はこんなに頑張っている、私はこんなに優れているのだ、と、声を大にして言いたかった。

 

 でも、そんな私から夫は離れていった。「は?誰の為にこの大変な時間を過ごしていると思っているの?」誰も幸せにならなかった。怒りと絶望の塊の私の体は、1年に1回、風邪をひくかひかないか、の元気な体が、「その頑張り方は違うよ」と教えてくれるように、長い長い低空飛行を始めた。